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深山の乙女 (1917年の映画) : ウィキペディア日本語版 | 深山の乙女 (1917年の映画)[みやまのおとめ]
『深山の乙女』(みやまのおとめ、, 「おんぼろの女王」の意)は、1917年(大正6年)製作・公開、ブルーバード映画製作、ユニバーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー配給によるアメリカ合衆国のサイレント映画である〔''The Raggedy Queen'', Internet Movie Database , 2010年7月5日閲覧。〕 == 略歴・概要 == 1916年(大正5年)にユニバーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)の子会社として設立されたブルーバード映画が、1917年に製作し、ユニバーサル社が配給して、同年12月3日にアメリカ合衆国で公開された〔。ロケーション撮影をペンシルベニア州で行った〔。 日本では、播磨勝太郎が1916年に設立した播磨ユニヴァーサル商会が独占配給し〔『日本映画発達史 I 活動写真時代』 、田中純一郎、中公文庫、1975年12月10日 ISBN 4122002850, p.257-261.〕、1918年(大正7年)3月30日〔『20世紀アメリカ映画事典』、編・畑暉男、カタログハウス、2002年4月、ISBN 4905943507, p.109.〕に東京・浅草公園六区の帝国館を皮切りに全国で公開された〔『ブルーバード映画の記録』 : 製作・著・発行山中十志雄・塚田嘉信、1984年4月、p.7.〕。同年8月、帰山教正の映画芸術協会が同名のオリジナルシナリオによる映画『深山の乙女』の製作を開始、翌1919年(大正8年)9月13日、天然色活動写真(天活)が配給・公開している〔深山の乙女 、日本映画データベース、2010年7月5日閲覧。〕。 現在、本作の上映用プリントは現存しないと推測されている〔''The Raggedy Queen'' , ''silentera.com'' , 2010年7月5日閲覧。〕。
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